giriのブログ

2015年3月11日 水曜日

トーショ―からのラブレター~インド滞在記①





3月28日~「ハートの贈り物パート2」としてハートのワークに名古屋に来てくれるトーショ―からこの冬2月間のインドOSHOリゾートでの体験をシェアしてくれる便りが届きました。
このメールの中で、沈黙を聴く、体験をシェアしてくれています。
そんな話も興味深いメールです。
是非、読んでみください。     ギリ


前回、ハートへの贈り物にご参加くださったみなさま、それにこのブログを読んでくださっているみなさまへ。

私、トーショーは、12月末から2月末までのインド滞在を終え、3月1日に日本に戻りました。みなさんとまたお会いできること、そして初めての方にも親しくお会いできることを楽しみにしています。

インドでは、2か月間の滞在中に4度も風邪や気管支炎など呼吸器系の病気になり、現在も本調子ではありませんが、病院でレントゲンを撮ってもらった結果、何ともないということで一安心したところです。

大気汚染や土埃、ネズミのフンやすきま風。

インドは過酷ですね。

そしてとても良いところです。

あけっぴろげで、いい加減で、これほどテキトーでも人生を生きて行けるんだ!ということをインド人全部が束になって教えてくれます。

インドについてもっと詳しく知りたい方は、伊藤アジータさんのブログを見てください。
http://blog.goo.ne.jp/ajitara33/e/11f3fc177d582f50681971a521cf1af3



石垣のような壁

私は4年がかりで、毎年少しずつ自分が通っているオショー瞑想リゾートにできるだけ近い場所に滞在するためにじわじわと距離を縮めていき、ついにリゾートの裏門から歩いて3分のところまで迫りました。
ところがその部屋が寒くて、暗くて。
もともとはガレージだったところを無理やり部屋にした、3面を石垣に囲まれているようなところで、残りの一面、窓側は、ベニヤ板でできています。
外はブーゲンビリアがこんもりと茂っていて、光を通しません。
う~ん、いいところだ、病気をするのには!

そこで滞在中に行ったネズミとの壮絶なバトルは、詳しくは話しませんが、インド訪問歴が十数回はある私としても初の体験でした。
昔は日本にもネズミがいましたよね!

と、ここまで外側で起こったことをお話ししましたが、インドに滞在するのは、苦しみにいくためではありません。



ピラミッド型の瞑想ホール

オショー瞑想リゾートは、私が皆さんにシェアーしているハート瞑想の創始者たちもまたその弟子である、OSHOという光明を得た神秘家が創りだした場所で、オショーが肉体を離れてすでに25年の歳月が流れた今も、世界中から多くの人たちがその香りを求め、そこで日々行われている瞑想を体験しにやってきています。

毎日、朝の6時から真夜中近くまで、瞑想やイベントが目白押しですが、午後6時半には、大きなピラミッド型の瞑想ホールにたくさんの人たちが集います。
これを「イブニングミーティング」と呼んでいます。

ミーティングは、ライブ演奏に合わせて踊ることから始まり、次にシタールと笛、打楽器の音がしばらく続いた後、突然沈黙に入るというプロセスを数回繰り返します。
それに耳を傾けたあと、オショーのビデオが1時間、最後にオショーのリードでレットゴー瞑想を30分と、毎日のゴールデンタイムをオショーとともに瞑想することに使います。

前回、初日のハート瞑想会で、音と沈黙の両方に耳を傾ける、ということを行いました。
音を聞きながら音の波に乗って深みへと入っていき、突然訪れる沈黙にそのまま耳を傾け続けることで、ハートの中心にストーンと落ちていく経験をされた方もいるかもしれません。

リゾートでは、毎晩それを行います。
生演奏の音楽の後、沈黙が訪れ、どちらにも耳を傾けます。
そしてまた音楽が始まり、つぎに沈黙が続きます。
ハートから耳を傾けるようにとは誰も言いませんが、私はそれを自分の道にしているので、一生懸命、ハートから耳を傾けようとします。
ちょうどハートに耳がついているように。

でもなかなか難しいのです。
それは音楽が大音量で鳴り響くので、音が自分の中に入ってくるのか、自分が音の中に入っているのか、良く分かりません。
それでも一生懸命やっています。

するとときどき不思議な静けさの中に入っていくことができました。
私はもともと音が得意ではなく、音楽もあまり聴きません。
沈黙に耳を傾けることができるようになったのは、ハート瞑想の創始者のひとり、プラサードが2年前に、音にチューニングを合わせるのとまったく同じように沈黙にもチューニングを合わせてみなさい、と教えてくれてからのことです。

そうしていると突然、沈黙が聞こえたのです。

沈黙とは、中心を聴覚的にとらえたときの経験であることを知りました。

私たちは、中心を知覚するのに、五感を使います。
感覚を使うことで、中心を静止していると感じ、視覚を使うことで、中心を夜の空のようであると見、聴覚を使うことで、中心を沈黙と受け取るのです。(中心をどのように知覚するかは、人によって違うので心配しないでくださいね。たとえば夜の空のように見えるのは、私の体験であり、明るい空として経験する人もいます)

中心の経験を深めていくと、その中に自然に安らいでいくことができるようになります。

「イブニングミーティング」に戻りましょう。
音楽と沈黙が数回繰り返された後、オショーが登場し(ビデオですが)、弟子の質問に答えて、ときには禅の話をし、ときには世界の情勢について語り、ときには、弟子の個人的苦しみについて、普遍的問題として語ります。
エゴの存在しない意識の光から語られるその言葉は、私たちの意識の底に眠っている何かをゆさぶり、ゆりおこそうとするかのようです。

今回、3月28日に大須で行われる「ハートへの贈りもの(パート2)」でも、オショーのビデオをいっしょに見たいと思っています。特にオショーが愛について語っているビデオを選んでプーナから買って帰りました。

楽しみにしていてください。

そして「イブニングミーティング」で私が一番好きなのが、最後に行われるレットゴー瞑想です。

これは、オショーが肉体を離れる前の1年間ほど(定かではありません。もう少し長いかも)、毎日講話の後オショーが私たちを瞑想へとリードしてくれたものです。

最後の1年、オショーは毎日禅について語りました。そしてその後、深刻な話はこれくらいにしてジョークの時間にしよう、と言いながら、2つか3つ、ジョークを読み上げます。オショーが本当にゆっくりと、登場人物になりきってジョークを読む、その揺れのなさもすごいのですが、毎日よく種が尽きないと思われるくらいのジョークに、みな大笑いします。

その後、レットゴー瞑想が始まります。

レットゴー瞑想の手順はこうです。
①オショーのジョーク
②宇宙語のように訳のわからない言葉でわめいて、内側にあるものを吐き出すジベリッシュ
③オショーのガイドによりしっかりと座って瞑想
④太鼓の音ともにただ後ろに倒れる。オショーのガイドでただ観照する。
⑤太鼓の音とともに戻ってきて、しばらくブッダとして座る
⑥音楽とともに祝う

レットゴー瞑想というのは正式な名称かどうかは分かりませんが、私はそのように呼んでいます。
それは、この瞑想の神髄がレットゴーにあると思うからです。

レットゴーとは「ゆだねる」「起こるに任せる」「手放しになる」ということで、オショーの合図で太鼓の音が響くと、座っていた出席者はいっせいに後ろに倒れます。
オショーは、砂袋のように倒れなさい、とか、いのちのことは気にするな、とか、本当に身をゆだねて倒れるように言いますが、なかなかそうはできないものです。

しかし、それをすることで、意識と肉体が離れる可能性があります。

そして、オショーは言います。


「あなたは肉体ではない、あなたはマインドではない。あなたは意識そのものである」と。

この瞑想では、本当に多くのことを経験しました。

私にとってはもっとも大切な瞑想です。
今回の「ハートへの贈りもの」でも、オショーの講話の後、このレットゴー瞑想を行います。

ただ手放しになって、オショーのガイドに身を任せるとき、どんなことが起こるのか、一緒にこのスリリングな冒険をすることができることを楽しみにしています。


3月28日~31日ハートへの贈り物(パート2)withトーショー







投稿者 Banyan tree | コメント(0)

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