サロン日記
2015年10月 4日 日曜日
パリギャンのセッションの体験談~両親の痛み
こんにちは
良い天気が続きますね。
日曜日のきょう、皆様いかがお過ごしですか?
昨年パリギャンのセッションを受けました。
仕事についてのセッションなのですが、両親から受け継いだもの
それが僕の人生、仕事にどんな影響をしているのか?
そんなセッションになって行きました。
今まで知らなかった両親の人生と痛みについて知ることになるセッションでした。
去年の記事を再掲させてもらいます。

パリギャンのセッションを受けた。
テーマは、仕事。
まず、僕の両手を握ってエネルギーを感じる。
うーん と 何かを考えながら、手元でペンジュラムを使う。
そして僕の左手を取って、掌を上に向けて、手首の上に、ペンジュラムを置いて、ワークをし始める。
「お母さんの中に、人生に対するNOがあるよ。ギリの左に、それがあるから、仕事やお金、物質との関係に対して 影響するよ、そのまま・・・・」
左手首、掌 様々な部分に、ペンジュラムでワークをする。
掌、腕、肩とエネルギーが動き、熱が出る。内側が熱い!!!
「お母さんは、社会の枠の中で生きてたよね。だから、本当に望んだ生き方をしていない!!本当に愛した人と結婚したのではなく・・・・」
「創造力があって、自分一人で決める力がある人なのだけど その可能性を生きなかった!!」
「だから、深い痛みや諦め、人生に対するNOを持っている。ギリは、そのままそれを内側にもらっている・・・・・」
ペンジュラムでワークするにつれ、深い層にあるもの、より本質に近いものにアクセスする。
「大勢の人の母、スピリチュアルな大地の母、そんな質がお母さんには、あるよ。それはそのままギリが受け継いでいるもの・・・・」
そして、右手を取って、同じように、右の手首や掌にペンジュラムを使ってワークをする。
「お父さんは、自分のことを本当には、愛していない女性と結婚生活をすること、そのことを受け入れてはいたけど、深い所で、傷ついていたね。男にとって、女性に深く愛されること、その暖かさが、一番大事なことだから。それを得られない痛みをお父さんは、持っていたね。」
「お父さんは、社会の枠の中で、生きることに、疲れていたね。もう十分、そんな感じ・・・社会の中でワイルドな質を生きることができなくて・・・・」
僕の中で、とてもエネルギーが動き、リリースされた。
それと同時に、今まで知らなかった、両親の痛みに触れて涙が流れた。
両親が結婚したのは、敗戦すぐの1947年(昭和23年)、母にとって、父が意中の人でなかったことは、よく知っている。
母が若い頃よく、「戦争で素敵な人は、みんな死んでしまって・・・・お爺さんに、お父さんは、出世する人だからと言われて・・・もう24歳で、当時の24歳は、オールドミスと言われるような齢で・・・・」
そんなふうに言っていたのを覚えている。
心から愛していない人と結婚することは、もうすでにそこで自分の人生を諦めること・・・そんな母の人生への諦め、NOをまだぼくのシステムの中で、エネルギーとして持っているとは、知らなかった!!
母は、絵を描いたり、芸術的な才能のある人で、それでも、決して、個展をしたり、日展等に応募したりとかのチャレンジはしなかった。主婦の趣味の範囲に抑えていた。その枠の中で生きるのが、身の安全だったのだろう。
それでもどこかとても決断力のある人だった。
一人で、名古屋を離れ故郷の近くの老人ホームに入ることを決めて、ぼくと兄を慌てさせた。
実家の家を建てるときは、母の姪の建築士と相談して、地元の大工に頼んで、母好みの家を建てた。
「お母さんが、知らない間に家を建ててしまった。」
そんなふうに、父が母のことを賞賛をこめて言っていたのを思い出す。
決断力というパリギャンの言葉からそんなことを思い出す。
彼女の主婦という枠を超えない、一番大きなの事業は、(僕と兄という二人の子供を育てること、父の妻であることを除いては、)実家の家を建てたことだったのかもしれない。
主婦や社会という枠を少しでも、超えることができたら、もっと彼女の力を生きれただろうと思う。
そして、何よりも驚いたのが、「スピリチュアルな大地の母」という質・・・ぼくも知らないし、本人の意識にも決して上がったことがないと思う。
母の意識にも上っていなかった彼女のより本質的なものを僕が母からのギフトとして受け継いでいること、それを知ることは、どこか感動的なことだった。
そしてそれを僕が生きることが、母の癒しにもなるのだと思う。
両親、あるいは先祖の中に眠っていた、生への渇望、それを私たちにバトンタッチされる。
彼らが意識していなくても・・・そしてそれに陽の目を見させるのが私たちの役割。
そんなふうに思うととても感動的だ。
父は、社会的には、成功した、人目には、幸せな人生を歩んだ人である。
ぼくが子供のころ、母のヒステリーに、翻弄される父をよく見た。
母との関係に、不平を言ったり、痛みを表現することは、ほとんどなかった。
本人もこんなものと自分自身を納得させていたのだと思う。
しかし、父は、父で、深い所で、満たされていず、痛みを持っていたと感じると、とても心が痛い。
品行方正な人だっただけになおさら心が痛む。
ぼくは、学生運動をしたり、精神的な探求をはじめ、仕事や日本から離れたり、父には理解できない、人生を歩んできたけど、それでもどこかいつも僕のことを愛してくれていた父を思い出す。
父が他界して14年になる。
充分意思疎通もできないまま、父に先立たれた。
それでも、父にとって満たされなかった愛や人生への渇望が僕の中で、生きていることを今回のセッションで知って、随分心強く感じる。
仕事についてのセッションが、思わぬ展開になった。
両親との関係、特に母との関係は、随分、ワークをしてきた。
それでも、まだまだ あるんですね。
自分自身へのワークは、いつまでも続くのですね。
生きるということは、そういうことのようです。
本当にいいセッションでした。
パリギャンありがと~
11月21日~23日パリギャンの感情、ブロック解放ワーク~個人セッション&ワークショップ
良い天気が続きますね。
日曜日のきょう、皆様いかがお過ごしですか?
昨年パリギャンのセッションを受けました。
仕事についてのセッションなのですが、両親から受け継いだもの
それが僕の人生、仕事にどんな影響をしているのか?
そんなセッションになって行きました。
今まで知らなかった両親の人生と痛みについて知ることになるセッションでした。
去年の記事を再掲させてもらいます。


テーマは、仕事。
まず、僕の両手を握ってエネルギーを感じる。
うーん と 何かを考えながら、手元でペンジュラムを使う。
そして僕の左手を取って、掌を上に向けて、手首の上に、ペンジュラムを置いて、ワークをし始める。

左手首、掌 様々な部分に、ペンジュラムでワークをする。
掌、腕、肩とエネルギーが動き、熱が出る。内側が熱い!!!
「お母さんは、社会の枠の中で生きてたよね。だから、本当に望んだ生き方をしていない!!本当に愛した人と結婚したのではなく・・・・」
「創造力があって、自分一人で決める力がある人なのだけど その可能性を生きなかった!!」
「だから、深い痛みや諦め、人生に対するNOを持っている。ギリは、そのままそれを内側にもらっている・・・・・」
ペンジュラムでワークするにつれ、深い層にあるもの、より本質に近いものにアクセスする。
「大勢の人の母、スピリチュアルな大地の母、そんな質がお母さんには、あるよ。それはそのままギリが受け継いでいるもの・・・・」

「お父さんは、自分のことを本当には、愛していない女性と結婚生活をすること、そのことを受け入れてはいたけど、深い所で、傷ついていたね。男にとって、女性に深く愛されること、その暖かさが、一番大事なことだから。それを得られない痛みをお父さんは、持っていたね。」
「お父さんは、社会の枠の中で、生きることに、疲れていたね。もう十分、そんな感じ・・・社会の中でワイルドな質を生きることができなくて・・・・」
僕の中で、とてもエネルギーが動き、リリースされた。
それと同時に、今まで知らなかった、両親の痛みに触れて涙が流れた。

母が若い頃よく、「戦争で素敵な人は、みんな死んでしまって・・・・お爺さんに、お父さんは、出世する人だからと言われて・・・もう24歳で、当時の24歳は、オールドミスと言われるような齢で・・・・」
そんなふうに言っていたのを覚えている。
心から愛していない人と結婚することは、もうすでにそこで自分の人生を諦めること・・・そんな母の人生への諦め、NOをまだぼくのシステムの中で、エネルギーとして持っているとは、知らなかった!!

それでもどこかとても決断力のある人だった。
一人で、名古屋を離れ故郷の近くの老人ホームに入ることを決めて、ぼくと兄を慌てさせた。
実家の家を建てるときは、母の姪の建築士と相談して、地元の大工に頼んで、母好みの家を建てた。
「お母さんが、知らない間に家を建ててしまった。」
そんなふうに、父が母のことを賞賛をこめて言っていたのを思い出す。
決断力というパリギャンの言葉からそんなことを思い出す。
彼女の主婦という枠を超えない、一番大きなの事業は、(僕と兄という二人の子供を育てること、父の妻であることを除いては、)実家の家を建てたことだったのかもしれない。
主婦や社会という枠を少しでも、超えることができたら、もっと彼女の力を生きれただろうと思う。

母の意識にも上っていなかった彼女のより本質的なものを僕が母からのギフトとして受け継いでいること、それを知ることは、どこか感動的なことだった。
そしてそれを僕が生きることが、母の癒しにもなるのだと思う。
両親、あるいは先祖の中に眠っていた、生への渇望、それを私たちにバトンタッチされる。
彼らが意識していなくても・・・そしてそれに陽の目を見させるのが私たちの役割。
そんなふうに思うととても感動的だ。

ぼくが子供のころ、母のヒステリーに、翻弄される父をよく見た。
母との関係に、不平を言ったり、痛みを表現することは、ほとんどなかった。
本人もこんなものと自分自身を納得させていたのだと思う。
しかし、父は、父で、深い所で、満たされていず、痛みを持っていたと感じると、とても心が痛い。
品行方正な人だっただけになおさら心が痛む。
ぼくは、学生運動をしたり、精神的な探求をはじめ、仕事や日本から離れたり、父には理解できない、人生を歩んできたけど、それでもどこかいつも僕のことを愛してくれていた父を思い出す。
父が他界して14年になる。
充分意思疎通もできないまま、父に先立たれた。
それでも、父にとって満たされなかった愛や人生への渇望が僕の中で、生きていることを今回のセッションで知って、随分心強く感じる。

両親との関係、特に母との関係は、随分、ワークをしてきた。
それでも、まだまだ あるんですね。
自分自身へのワークは、いつまでも続くのですね。
生きるということは、そういうことのようです。
本当にいいセッションでした。
パリギャンありがと~

11月21日~23日パリギャンの感情、ブロック解放ワーク~個人セッション&ワークショップ
投稿者 Banyan tree | コメント(0)
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