giriのブログ

2018年2月21日 水曜日

初めてのインド~1987年《OSHO サニヤシン 名古屋》

もう、30年前に、初めてインドに行きました。

光陰矢の如し、

つい先日のようですが、30年前、

1987の9月です。

当時、市役所に勤めていて、

1月間の休暇を取って、インドに行きました。

『外国に行ってまで、何か勉強したいと思うのは、
とても大事なことだから、行ってきたらいいよ、
丸田君の仕事は、自分が何とかするから・・・・』

そんな仙台市役所のS係長の後押しで、
インドのOSHOコミューンに行くことができました。

人生、いろんなところで、サポートをしてくれる人に出会います。
Sさんは、愛の人でした。

311の震災で、一番打撃をうけた地区に住んでいる方でした。
お元気でしょうか?

ふとしたきっかけで、愛に出会います。

Sさんは、言ってみれば、どこにでもいる、
あるいは、どこにもいない、

ごく普通の、そして、決して普通でなく、

世界中で、彼しかいない、そんな人でした。

学歴や、地位や、あるいは宗教や修行やとかに関わりなく、

愛や、共感を生きることができる人が、どこにもいます。

素晴らしいなあ と思います。

それが、私たち人間の本質ですね。

僕の初インドのことを思いだすとき

いつも出てくるのが、S係長です。

30年前とはいえ、1月休暇を取ることは、

それ程たやすいことではありませんでした。

Sさんありがとうございました。



当時のプーネのOSHOコミューン

OSHOについて少し、話しましょうか?

このブログを読んでいる人は、知っている人も多いでしょうか?

1931年生まれ、1990年、59歳で、肉体を離れます。

早死にですね。

アメリカで不当逮捕されたときに、タリウムと言う放射性物質

の被爆を受け、その後急速に体調を崩します。

キリストやソクラテスのように

ジョンレノンやマイケルジャクソンのように、

支配者に都合の悪い存在として殺されました。

OSHOは、仏陀やキリストのように、光明を得た存在です。

彼を見ていると、人間は、これほどまでに、崇高な存在に、

美しい存在になれる可能性があるのだと、教えられます。

彼の目を見るだけで、きっと、何かが伝わるでしょう。

1981~84年OSHOは、アメリカにいました。

OSHOを中心に、東京23区に匹敵するエコロジカルな

コミューンが出来上がりました。

荒れ果てた土地に数千人の人が住み、

人類史に例をみない実験都市ができあがりました。

それを恐れたアメリカ、世界の支配層の圧力で、

OSHOは、アメリカを追われ、アメリカの圧力で

世界23ヶ国から入国拒否を受け、86年末に、インドに舞い戻ります。

ぼくが、行った87年は、まだそんな世界規模でのOSHOへの圧力があり、

決してOSHOを連想させるものは、入国できない可能性があるので

持っていかないように・・・そんなふうに言われていました。

OSHOは、自分自身のことをリベル(反逆者)と呼んでいます。

大学で哲学教授であり、覚者としての敬意を一身に集めた人でした。

そこにとどまることなく、地球という大きな舞台で、人類の目覚め

のため、大きな芝居を打った、スーパースターですね。

OSHOのスケールの大きさには、圧倒されます。



こんな写真もあります。

これは、1985年11月の写真です。

アメリカのシャーロット空港、OSHOを中心にした運動の

拡がりに怖れを抱いたアメリカの支配層は、OSHOを逮捕状もなしの

不法逮捕をします。

その時の写真です。

ガンを突き付けられても、その威厳を一切損なうことのない

存在、意識のあり方に、愕然とします。

肉体の存在=生命 という意識を超えた、いのちのあり方を

垣間見ます。



これは、アメリカのオレゴン州のコミューンでの写真。


まだ、インターネットのない時代ですが、世界中から、

OSHOを愛する人、真理を求める人が、彼がどこにいてもやっています。

ヒッピーやニューエージと言われる人々、70年代の世界中で起こった

若者の反乱、大きなうねり、波のようにして人々がOSHOのもとに、

インドのOSHOコミューンにやってきました。

そんな時を待って、彼は、生まれてきたのですね。

当時、1987年9月のOSHOコミューンは、建設ラッシュ・・・

OSHOが数年ぶりに戻ってき,弟子たちも集まりだし、

瞑想や様々なワークショップの施設、食堂、宿泊場所・・

様々な施設のニーズが生まれ、キャンパス中で建設中で、

活気に満ちていました。

そうそう、最初に、当時住んでいた仙台のサニヤシン(OSHOの弟子)の

先輩の住むアパートのリビングルームに泊めてもらいました。

みんな、お金もなくても、ともかく、OSHOのもとに居たい・・・

小さな部屋に何人も住んでいたり、そのアパートの1室は、

仙台出身の男性と女性、カップルとおもいきや、そうではない・・・

ただの仲の良いお友達・・・性的関係なし・・・

これは、結構、カルチャーショックでした。

男と女、仲良しでもセックスしなくていいし、

一緒に小さな部屋で住んでいても、それだけのこと・・・

セックスに関して、緊張が少ないと、異性と同じ部屋で寝泊まりしても

ただそれだけのこと・・・・

あるがままでOK

そしてあるがままは、千差万別

いろんな個性、いろんな人生

あるがままが許される社会、


そして強烈なエネルギーの渦巻く場が、OSHOコミューンでした。

光明を得たマスターの存在

OSHOの存在が創りだす多重な織物の絢爛たること・・・・

世界中から、人生をなげうって、OSHOのもとに人が集まってきています。

仕事、家族、家、名誉、財産、全てをなげうって、

何千、何万の人が師のもとに集まります。

すごいことですね。

真理、真理を体現した存在は、それ程の吸引力を持ちます。



実の所、初めてのOSHOコミューンの旅は、

サニヤシン(OSHOの弟子)になることを決めて行ったわけでは、

ありませんでした。

しばらく、ガンジャ(マリファナ)にはまりました。

当時の僕の経験は、マリファナをすると、

自分の中にあるなにかが、大きく広がります。

ハートがいっぱい拡がったり、

共感する力が拡がったり、

ネガティブな感情、バッドトリップになったこともあります。

マリファナにはまっている僕を見て

『OSHOの方が、ガンジャよりはるかに効くよ。』

先輩のその一言が、ぼくがOSHOの弟子になる後押しでした。

当時、OSHOの講話が、夜の6時30分頃から始まります。

多くの人が、何時間も前から、席を取るために、列をなして並びます。

英語もよくわからないし、講話に参加もしない日もありました。

ある時、気づいてみると、毎日のように、

ホールに入る列に並んでいる自分があります。

知らず知らずに、OSHOの魅力に取りつかれてきたのでしょう。

ちょうど、そんなころに先輩の言葉を聴きました。

僕のマインドに、理由付けが必要でした。

そして、1987年9月20日に、OSHOの弟子になりました。

サニヤスセレブレーションという儀式があり、

世界中の人々にお祝いしてもらいました。

新しい人生、自分自身の真実を生きる旅の始まりです。

Sangit Giri
山の音楽 というのが、OSHOからもらった名前です。




1987年前後、よく行っていたボデイワークのワークショップにて
ギリ若いな~!!!




こんな写真がありました、プネーの街で、



1989年頃の写真、パーティー



現在のOSHOリゾートのカフェ



瞑想ホール



ブッダグローブ(OSHOが講話をしブッダホールの跡がオープンスペース

になって、ダンスや、瞑想が行われている・・・・


PS.いつも思うのですが、少し前まで、この地を歩いた仏陀がいます。

25世紀前のゴータマ、シッダールタ や20世紀前のキリストより、

現代のために生まれた仏陀、OSHOからもっともっと

私たちは、学ぶことができます。



一緒にOSHOが歩いた場所で瞑想しましょう!!!
ゴールデンウィークOSHOリゾート瞑想ツアー

身体を通して私たちのエッセンスと出会います
3月3(土)4(日)パスオブライフ(ボディワーク講習会)

新たな人間観、神経系を整えるエクササイズ
2/25(日)ポリヴェーガル理論~愛と絆の神経理論~ミ二ワークショップ




投稿者 Banyan tree | コメント(0)

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